今まで語られることのなかった指導医の本音・・・研修医制度に内在する問題点

 -------- 自験例を踏まえて

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 厚生労働省の突撃ラッパとは裏腹に、医療崩壊はもうすでに待ったなしのところまでやって来た。地方での医師不足はおろか、東京などの大都会でも医師の不足が顕著になってきた。これは医師不足もあるが、医局制度が瓦解して医師が流通しなくなったのである。また、産婦人科の医師は極端に少なくなり、今や国宝級となりつつある。

 この原因として、研修医制度、極端な裁判の判例があるということは、もはや言うまでもないことである。

 この記事では、研修医制度の主役は言うまでもなく「研修医」であるが、もうひとつの要である「指導医」について、力不足の指導医であった自分のことを思い出しつつ記事をしたためたい。

 今の研修医制度では、卒後1-2年目では初期研修医。3-5年目は後期研修医ということになった。何だかんだといっても、「研修医」というのがつくわけである。

 そして、6年目以降になると、「指導医」となる。

 厚生労働省も、指導を受ける研修医も、「指導医」ともなれば、研修医にきちんと教えるのが仕事だ、当たり前だ、と考えている節があるが、それは大きな間違いだ。

 実は、この「指導医」と言ってもいろいろある。目の前の患者を何とかするのに精一杯の医師も沢山いる。なんと情けない・・と思うなかれ。私が2年目の時に薫陶を受けた50歳くらいの部長の先生。当時の私から見ると、バリバリの難手術をこなし、外来もその先生をめがけて患者が山のように来て、そのような忙しいさなか精力的に論文を書いておられた、すばらしい先生であった。もちろん指導力も抜群だ。しかし、その先生でさえ、「患者を治療するに当たり、自信なんてものはない。強がってやっているだけだ」とおっしゃられていた。残念ながら今は亡くなられたが、今でも私はこの先生を尊敬して止まない。

 つまり、その先生もおっしゃられているように、人を治療すると言うことはそれだけ難しいことなのである。

 また、当たり前であるが、指導医にしても、教えるのが上手な人、下手な人、教えることが好きな人、そのようなことが嫌いな人、という風にいろいろある。

 私も、13年目の時、北海道のとある中核都市の一人科長を医局より命じられ赴任したが、正直に言ってほっとした。当時、自分の技量にはあまり自信が持てずにいたので、その中で、下に一人医師がもし来るとしたら大変に苦痛に感じたであろう。

 多くのベテランの医師なら分かっておられると思うが、下の医師というものは、ある意味で残酷なものである。ちょっとおかしな治療(これも苦渋の選択なのだが。「おかしな」という表現にも語弊あり)をすると、いろいろとディスカッションを下の医師と行うことになる。自分と建設的な討論を行え、かつ、きちんと分かっている下の医者ならまだ良いが、馬鹿なやつも居て、「あの指導医はだめだ」「あんな治療はダメだ」など、看護婦や患者に触れ回る者もいる(実は、だめな下の医者ほどこのような人間が多い)。看護婦にとっても医師の意見である。とんでもない治療なのかな、とんでもない医者なのかな、と思うわけである。結局、その「指導医」は、その病院で働くに当たり大きな損害を被るわけだ。

 また、一応自分が上なので、下の医者、それが、5年目までの「研修医」ならなおさら、その下の医者が治療を行って、し損じたことに対する責任を負わなければならないのかもしれない、と思うと、気持ちも鬱ぎがちになるものである。とにかく、自分の行う治療でも大変だし、自分で行ったことに対して詰め腹を切らされるのならまだしも、下の人間のやったことまで詰め腹を切らされたり、そのために断頭台に上らなければならないとも考えると、胃の中に鉛でも入れられた気分である。実際、私もそのような状況になったこともあり、このような気分を嫌と言うほど味わった。

 このようなことを考えると、「下の医者なんかいらない」と、私なりに当時、考えていた。だから、ひとり出張を望んでいたし、その状況を心底喜ばしく思ったものである。

 ひとりで実際に大変であったことも確かだ。そして、病院の仲間やスタッフから「医局からもうひとり送ってもらえたらよいのにね」と何度も言われた。しかし、私自身は当座はこの「気楽さ」を楽しんでいたし、そのような「一人増員してもらいたい」という気持ちはさらさらなかった。だから私はこのようなことを言われた時はいつでも、自分の気持ちを隠し「そうだね。だけど、医局も人がいないからね」と残念そうに答えることにしていた。私も13年もこの業界に身を置き、少し賢くなったのだろう。

 厚生労働省や若き研修医諸君はこのような話を聞くとひどく意外に思うかもしれない。私のことを変わり者と思うかもしれない。しかし、このように考える医師は自分の経験ではむしろ多数派であるようだ。

 平成16年より研修医制度となり、5年目以降の医者で研修病院に勤務している医師は、場合によっては否応なしに、下の医者をつけられ、「指導医」となり教えることが義務とされた。日々の診療なら、何とかこなせられる者でも、このような「指導医」という状況を嫌がっている医師も多いというのが現実である。 

 かつて、研修医制度前なら、このようなことに対して、医局で血の通った対応をすることができた。大学に居るのであれば、下の医師を指導するのが仕事であるし、大きな病院で部下を何人も抱えるトップとなれば、下の医者の面倒を見るのが嫌だとなんか言っていられない。逆に医局で自他共に認められた者がそのような役職に就き、それなりに名誉なことであった。

 一方で私のような「イマイチ」の者でもそれなりに居場所を与えてもらえた。そして、このような「イマイチ」の者でも時が来て勝手がある程度分かれば、指導するようなこともできるようになるのである。

 このように考えると今、行われている「集約化」というのも善し悪しである。たしかに一つのところに集めて、皆で協力して休みも取れて、きちんとした仕事をするというのは結構であるが、いろいろなタイプの医師があるということである。何となく、複数人になると、落ち着かなくなる医師もいる。このようなことを考えると、せっかく集約化しても、それが原因でやめていく医師も少なくないであろう。

 また、人間関係というのもある。これが実は一番面倒なのである。「あいつとなんか一緒に仕事したくない」というのもある。集約化も医局単位で調整するなら、ある程度、このようなことにも調整したり、考慮したりもできる。しかし、やっぱりこのような事例は少なからず生じる。

 これが今はやりの、「臓器別に医局の垣根を越えて」、とか、「大学間の垣根を越えて」などの理念の元に「集約化」する、なんてことをすると、ただでも面倒な人間関係の他に、医局間のギスギス、大学間のギスギスも生じてきて、集約化したところから医師がやめていくという現象も出る可能性がある、というかそうなるだろう。

 このように考えると、この現行の新臨床研修医制度における、研修病院と言っても、研修医、特に、後期研修医を3年にわたりまともに指導できる施設なんか、実際には非常に少ないと私は思うのである。

 また、私はかねてからこのホームページで「初期研修はポリクリの延長。後期研修こそが勝負」と言ってきた。皆、研修医なら、良い研修病院を選びたい、と思うものであろう。良い研修病院とは、あたりまえだが、良い指導医の居る病院である。しかし、医師の移動は激しい。3年間にわたり、一つの病院にとどまる医師というのは実際にあまり多くはない。30代後半から40歳代の医師であればなおさらである。せっかく考えて研修病院を選んでも、目星の付けた指導医がすでに転勤してしまっていたり、研修半ばで移動してしまったりということも多いのだ。

 また、この3-5年目というのは医師として大きく伸びるときである。このようなときに挫折すると、もうひとりの医師として取り返しがつかないことになることもあり得るのである。

まとめ

・現行の新臨床研修医制度の問題点を「指導医」の観点から述べてみた。この視点から述べられたものは今までほとんどない。

・とにかく一つの病院に医者を集めれば良いのだ、とばかりに、「集約化」が進められているが、医師個人個人の特性、また、その集団の中での人間関係を考えた場合、集約化による医師の流出ということも考えられる。

・6年目以降の医師が、研修病院に勤めている場合、「指導医」ということになるが、指導医の気持ちというものもある。複数人になれば、ハッピーになれるわけではない。

・個人的に、下の人間を指図して上手に使うと言うことは私は苦手な方であるが、医局に所属している以上、そのような立場になることもやむを得ない、と思っていた。また、そのようなオーベンを経験することも一つの修行であると私なりに思っていた。しかし、現在のように医局自体が崩壊していると、このような気持ちを医師個人に持たせることは非常に難しいのではないだろうか。

・新臨床研修医制度が始まり、各病院が若手の医師を育成しなくてはならなくなったが、実際には、大都市のブランド病院以外はこのことが大変な重荷となっている。院長を始めとして病院幹部は、各病院で研修医の給料を上げたり、ホームページを整えたり、遠方まで研修医獲得のために病院説明会に赴いたりしている。研修医獲得に成功すると「どうだ!」と息巻く様子が目に浮かぶ。しかし、実際に指導にあたる、各科の科長、あるいは、指導医の胸中はどうであろう。研修医と仕事をシェアーしてうまくやっていけると喜ぶ者も居るだろうが、私の予想では、「重荷」を背負わされたような気分になっている指導医や科長も多いと思う。私がそうであったように。

・「ほら、お前の科に後期研修医が入ったぞ。今までと違って、毎日外来もやってくれ。夜の救急にもきちんと対応してくれや」とポンッ言われたら、私ならすぐに辞職を考えるだろうな・・・病院幹部さん。注意が必要ですぞ。

掲示板より

指導医の憂鬱 投稿者:マイナー科医 投稿日:2007/03/26(Mon)
 
 初めて投稿します。地方基幹病院でマイナー科の科長をしています。経歴も比較的A企画さんと似通っているように思います。部下が二人います。A企画さんのこれまでの殆どの提言に関して賛成です。医局も善し悪しですが、医局がなくなれば厚労省主導(きっと何か天下り外郭団体が出来るんでしょう)か民間企業主導の医師派遣業が牛耳ることになり、どちらの場合も医者にとって暗い将来しかあり得ないと思います。これに比べれば医局の方が(よほど教授や医局長が腹黒か能無しでない限り)ずっと良いと思います。

 ところで最近の記事の「指導医の本音」についてもまるで自分のことのようで同感できる部分が多かったです。ただ一人医長は、地方公立病院の「休診日を作ることを異常に嫌う」という体質を考えると、●休みが取りにくい(実質上取れない)●学会に行きにくい(実質上地方会しか行けない)ことになり、過労及びノイローゼのもとだと考えられます(科にもよるでしょうが)。私なら一人医長に行かされるなら絶対開業します。

 といいつつ、一人医長でない私も、最近の夜間コンビニ救急当直に嫌気が差してそろそろ開業を考えているのですが・・・H20年度改定が開業医を直撃という話・・・ホントにどうしたものか・・・。



集約化がいいとは限らない。 投稿者:暇人28号 投稿日:2007/03/27(Tue)
 

 昨日の管理人様の文章を拝見しました。私もそう思います。台所に二人立つとろくなことがありません。最近は「チーム医療」なんて言っていますが、現実には医師がチームのトップに立ち、みんなの意見を集約しながら方針を固めていく状況です。(というか、そうしないと組織は機能しなくなる)



Re: 集約化がいいとは限らない。 ssd - 2007/03/28(Wed)  

 たしかに二人って微妙なんですよね。
 三人以上だとまた違うんですが。



Re: 集約化がいいとは限らない。 A企画 - 2007/03/28(Wed)
 
 マイナー科医さん,暇人28号さん,ssdさん.皆様 さすがによく分かっていらっしゃる.私の意見も皆様の意見をお聞きして極論ではないなと,安心致しました.

 確かに2人というのは微妙です.
 私もオーベンを張るほどの実力はまだないな,と思っていましたが,ある時,2人のオーベンを命じられた.
 医局の中では誰もが通る道.自分も修行と思って地方の病院に赴任しました.「お前も下を連れて行くようになったか」と,先輩から言われ,うれしいような困ったような.

 繰り返すようですが,私も医局の中で修行と思ってオーベンを受けた.辛かったです.毎日,胃の中に鉛でも入っている様な気持ちでした.1年位やって終わりましたが,医局長から次の赴任先を告げられたとき,風呂の中で鼻歌を歌いましたね.その時はっと気がつきました.そう言えば,ここに赴任して鼻歌なんて歌ったの初めてだ,ということに.

 まあ,今の研修医制度はこのような点まで気が回りません.ましてや,今の新臨床研修医制度でわがまま一杯に育ってきた連中にオーベンなんてやれるものではないと思います.いやさ,やれる人は稀だと思います.どうなるんでしょうね.

 私の場合はまだ,医局にいて,そうするといろいろと仲介,仲裁してくれる人がいた.励ましてくれる先輩もいた.それで何とかやれた.
 辛かったけど,一皮もふた皮もむけたような気がします.医師としても人間としても大きく成長できたと思います.

 今の集約化.また,研修医制度.もう機能不全に陥っていますが,このような指導医という点からも近いうちに挫折すると思います.

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