今,撤退の時
      そもそも公立病院はなぜ救急外来を始めたのか?
 私が医師になったのは今から20年ほど前のこと・・・もう大部昔のことになってしまったが・・・


 この当時,公立病院はあまり救急医療には熱心ではなかった.
 救急を市内の病院で持ち回りでやっているところもあったが,多くの公立病院はお役所仕事を絵に描いたような勤務態勢で,夕方5時になれば,外来は閉鎖していた.

 なぜ,やっていなかったか.組合が強かったとか,やっぱりお役所体質が抜けていなかったとか,いろいろな理由を見つけることができる.
 ただ,最も大きな理由は医師の数が足りなかったのである.

 私が,医師になって2年目の時(昭和60年代)に函館のある基幹病院に勤務していたが,その時,その病院の全医師数は40名であった.
 それが10年前にそこの病院に勤めている人にお会いしたところ,医師の数は60名に増えたという.更に,5年前(平成12年ころ)には,医師の数が80名になったという.

 どこの病院でもこのように医師が増えていったようである.何しろ世の中は医師過剰時代だった.

 このように医師が増えていけば業務は拡大できる.市立病院の場合には,救急外来をするとしたら,市議会の了解を最終的には得なければならないが,その様な提案に反対意見など出ようはずもない.また,日赤,厚生病院などのような半官半民のような病院も,医師の数が十分であれば救急でも何でもできる.

 どこでも,大方その様な感じで,業務を拡大,救急外来を始めたわけである.


 しかし,時代は大きく変わったのである.
 平成16年から始まった臨床研修医制度は,医師増加の流れを逆転させた.このような公立病院,日赤病院などの中核病院には,大学病院の医局から医師が派遣されていたが,研修医制度のせいで,医局に新入医師が入らなくなった.  

 したがって,当然派遣される医師の数も少なくなってきているので,そのような中核病院に勤務する医師の数も少なくなってくる.

 内科総辞職のあった江別市立病院でも去年(平成17年)まで12人の内科医がいたが,今年(平成18年)は7人になっていたという.それだけ,勤務する医師の数が減ってきているのである.

 勤務する医師の数が減れば当然,業務も縮小せざるを得ない.とりあえずは24時間救急などはできなくなるのである.

 戦争でも,勝って勝って勝ちまくり領土を拡張してゆくのは簡単だ.しかし,負けが混んで来て,撤退する時こそが難しいのである.負けが混んできて,なお撤退のタイミングを逃すと,全戦線が崩壊してしまうことは歴史上よくあることである.

 それと同じ.今,中核病院は撤退の時なのである.まず,「救急」という戦線を縮小しなければならない.これをすみやかにやらなければならない.「救急外来を始める」と言う時には,反対する人などいなかったろうし,市民の支持も得られやすい.しかし,逆に「救急外来をやめる」となると,議会も紛糾するだろうし,なかなか難しい面もある.

 しかし,いつまでも考えたり,検討している時間などない.医師の疲労と不満はもう限界に達している.撤退のタイミングを失すると,江別市立病院,美唄市立病院,舞鶴市民病院などのように,医師の大量辞職を招き,戦線が崩壊し,救急外来はおろか,病院の機能自体が喪失してしまう.

 救急外来を縮小したり,辞めたりすることは何も恥ずかしいことでも悪いことでもない.言うなれば,20年前の水準に戻るということである.数字の上では医師過剰時代は進行中であるが,臨床研修医制度が続く限り,今の医師不足は続くであろう.臨床研修医制度を決めたのは政府,厚生労働省である.何という愚かで無能な政策であろうか.しかし,それは今,言っても仕方がない.
 
 現実を見つめる勇気を持って撤退を遂行しよう.

あの,ナポレオンもロシア戦で敗色が濃くなったときに,撤退の仕方に失敗し,全戦線が崩壊し,全てを失い失脚したではないか.

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